2023年01月17日
2008年02月26日
春はおそろしい
春はなんとなくおそろしい感じがする。
と思っていたら、夏もおそろしいよ、と思えてきたし
秋も冬もおそろしい。
つまり一年中おそろしい。
この世はおそろしい。
でも夏のおそろしいものというのは
何となく人間の力で笑い飛ばして勝てそうな気もする。
秋と冬は、おそろしいよりもさびしいとかさむいってば!の方が
力がつよいので、おそろしいは少しひっこむ。
それにくらべ、春のおそろしいは、どこか術なくて勝てない気がする。
やっぱり、春がいちばんおそろしい。
何かをうばって、もっていってしまいそうな感じがするし
どこかわからない場所にふっとばされてしまいそうな感じもするし
人がまだ人でなかったころに舞いもどされたり
くつしたの下のくつの下の地面をゆわゆわにされてしまいそうだし。
天気のよい空などは、すいこまれて無くされてしまいそうだ。
春には、桜というものもある。
ポケットの中ににぎりしめた手を、そっとおしひらいたら
うすピンクの花びらがいちまい。
白い自転車の、真っ黒のサドルのうえに
うすピンクの花びらがいちまい。
なんだかおそろしい。
おそろしい春が
もうすぐくるなぁ。
posted by 草子 at 23:23| 今昔物語
2007年11月05日
嘘もホントも不分明な足指の毛の爛漫
「嘘もホントも不分明となっているところがこのブログの魅力では
ありませんか。」
このようなお言葉をいただいたので、散文(ウソ)と短歌(ホントのウソ)
を、まぜこぜにおいておくことにします。
この世に「確かな事」というのは、いったい在るのでしょうか?
ほんとうに?
例えば今、私の足の親指には、指毛と思われるものが5本
ぴんぴんと生えておりますが、、、
これは、この五つのぴんぴんは、ほんとうに指毛だということは
きっと確かと、言ってよいのでしょうか?
私は思考という名のものとに
いつだって、目の前にある事実を疑ってみることを
やめないでいたいと思っています。
もしかしたらこの、五つのぴんぴんの指毛は
頭の毛が、体の内部をにょきにょき伝って
額も咽も、肺も胃も抜け、マタのところでちょっと顔を出してわだかまった後
二方向に分かれ、しゅるしゅるとふくらはぎまで伸びてきて
ついに、足の親指のところに、ぴんぴんぴんぴんと顔を出した!!
という「頭の毛のお尻の部分」的なる何かでありはすまいか??
と、疑ってみようと思うのです。
それと世の中には、足指に「毛」など存在しない
という爛漫な女が居るらしい、なんて幻想についても
率先して疑っていかねばならいと
使命にも似たものを感じ、情熱を燃やしております昨今です。
posted by 草子 at 23:23| 今昔物語
2007年10月31日
不倫
今日は「不倫ってどう思う?」と聞かれたら
なんと答えようかなぁ、と考えて一日を過ごしていた。
別に、近く誰かに不倫について問いつめられる予定がある訳でも
不倫にまつわる仕事の話がある訳でも何でもない。
聞かれもしないことを「〜ってどう思う?」「〜って〜だよね?」
などふってくる仮想の質問者を想定して「その場合、こう言うかな?」と
切り返しのレシーブやスマッシュの具合について
アレコレ思い悩んで考えを巡らすのは、単なる私の脳内妄想趣味のひとつだ。
幾分変態的だけれども、それは今に始まったことではない。
で、「不倫ってどう?」という質問の切り返しをもやもやと考える。
「不倫」ネタは過去にもアレコレと考えたが、これは結構むずかしい。
ニュートラルでありながら、過激さの匂いも含み、かつ
何かを超越したようなつよい説得威力の光を放つ。
そんな「不倫観」は無いだろうか、、、
と、割と長年考えているのだけど、いまいちピシャリとしたものは出ない。
もんもんするなぁ、不倫。
今度、飲み会の席などで
片っ端から「不倫ってどう思う?」という質問を投げまくってみようか。
意外な盛り上がりが、あるような気がしないでもない。
posted by 草子 at 23:23| 今昔物語
2007年10月13日
スーパーにて
母親と二人連れの、小学校3年生くらいの少女が
魚介の並ぶ棚に、ダダダッと駆け寄ってきて
うるうるした声で「うわぁ〜、おいしそう〜〜」と言っていた。
少女は、秋刀魚のパックを指さして、感嘆の声をあげていたのだった。
確かに、この季節の秋刀魚は
まるで白昼色の蛍光灯のように、人工的とすら感じるほど
ピカピカに光っている。新鮮そのもの。
北海道産、宮城産、三陸産
どのラベルの秋刀魚もピッカピカのキランキランだ。
しかし、まだ10歳にもならないような少女が
ハンバーグや、スキヤキや、オムライスではなく
三陸の秋刀魚に目を輝かせているとは、、、、いささかシブイ、、、
私などは、秋刀魚のワタの黒い部分をも美味いと思えるようになった時
自らが登った大人の階段を後に感じ、しみじみとしたものであったけれど、、、
少女に注視しながら買い物を続けていると
少女は、白魚の入ったパックの前に立って、母親のそでを引きながら
「ねぇ〜え〜、躍り食いたべた〜いぃ!」
と言っていた。
えぇ〜!
オドリグイときましたか、、、
シブイ、、、シブすぎるってば、10歳未満のくせに!
と、ここまで来て、ハタと気付いた。
この少女、おそらく何日か前に、家族で寿司でも食べに行ったんじゃなかろうか。
回転ではない方の。
もしくは温泉宿だな。
しかも、スポンサーは祖父母あたりでね。
そう考えると、少女の行動は、大変に子どもらしい行動形態として
するりと納得がいく。
非日常性の中で体験した「ちょっと大人な経験」を
日常の世界の中で、誰ともなしに自慢する、あの感じ。
あれは、「子ども時代」に顕著な行動ではなかったろうか。
知らせたいのだ。
「自分はふつうではない」ことを。
少女の心中を翻訳するなら、こうよね。
「あたしはもう、秋刀魚(刺身)の味も躍り食いも、タ・イ・ケ・ン・ズ・ミ なのよ?」
おそらく少女は、今、食べたいという訳ではない。
食べられる事を、味が分かるってことを、
ちょっと大人の領域に足を踏み入れたことを
誰に言うでもなく、主張している訳ね。
面倒臭そうに「あー」とか「んー」とか答える母親と
「オドリグイ」「オドリグイ」と連呼する少女の横で、私は
2割引のホタテパックを吟味しながら、すかさず
「まだまだガキですね、いっとくけど私はお見通しよ、ふふふふん」
という視線を、少女にむかって投げておいた。
大人の義務として。
ただ私は、「白魚の躍り食い」を未だかつて食べたこと無いというのが
くやしい事実。
posted by 草子 at 23:23| 今昔物語
2007年09月29日
私はペペロンチーノをヤキソバみたいにモチモチにしか作れない
「オリーブオイル」と「エキストラバージンオリーブオイル」
の味の差など、1000%わからない。
「エキストラバージン」が何を意味しているのだか知らないし
調べようと考えた事もない。
私がペペロンチーノをつくると必ず
「むっちりニンニク塩ヤキソバ」にしかならないという事と
オリーブオイルがバージンなのか、バージンではないのか
という事との間に因果関係はない。
しかし、スーパーにゆくと
バージン娘の方が100〜150円ばかり価値をつり上げられている。
私は、目に見えない何物かに対する見栄によって
魚眼レンズのゆがみの中でゆあんゆあん揺れているようなスーパーの棚から
ふるえる手で「エキストラバージンオリーブオイル」を選びとる。
一体何なんだっていうんだ
あの、「オリーブオイル」と「エキストラバージンオリーブオイル」を
ぴっちり横に並べ、100〜150円程の値段格差をつけ
「オマエハ、ハタシテ、ドッチヲ、エラブノカ? ハタシテ、ハタシテ」
と、脅迫してくるかのような、あのスーパーの棚のたたずまいとは。
味の違いは1000%わからないし
私はペペロンチーノをヤキソバみたいにモチモチにしか作れない。
早朝
リサイクルゴミの回収日だったので
大量のペットボトルと、酒ビン酒カンなどを袋に詰め
がっちゃがっちゃバッコーン
回収ボックスの中にズババババーンッと棄ててきた。
ゴミを棄てるのは気持ちがよい。
生活のぐるりがさっぱりして、朝一番の活動としては最適だ。
朝湯をあびて、洗濯機をごうごう回して、軽く二度寝をした後
「さてと、『ザ・オシャレベーコンエッグ』でも作ろうかしらね」
と、フライパンにオリーブオイルの瓶を傾けると
ぽってり、ぽってり、と、二滴ほど落ちただけだった。
「そうそう、昨日買い足したエキストラバージンオリーブオイルがあったわね」
と、キッチンの床と足下の棚を探すが、どこにも無い。
寝起きだったとはいえ、はっきりと記憶にあるぞ。
確かにオイルの瓶は、昨夜開けた赤ワインの黒々した瓶とビール缶と一緒に
ゴミバコの横に並べてあったし
私はそれを、わっしりと掴んで、袋にバチコーンと詰め込んで
ガッチャガッチャといわせながら階段を降り
たまにゴキブリが這い出ることもある、汚れた廃瓶回収のプラボックスに
「よっこらせ〜、もひとつせ〜、おまけにせ〜」
と歌いながら、廃瓶を一本、一本、バッコシ、バッコシ棄てた。
わたしが棄てました。
わたしが、バッコシ、バッコシ、すてました。
確かに、バッコシ、すてました。
悔しさのあまり、思わず大阪の母親にメールしました。
>> オカアサン、ワタシ、
>> カッタバカリノオリーブオイルヲ、ケサ、
>> ハイヒンカイシュウニ
>> ステマシタ
>> ステテシマイマシタ
>> フウハ、アケテオリマセンデシタ
>> カナシイデス
母からは
「へぇ〜」
という返信が返ってきました。
posted by 草子 at 23:23| 今昔物語