2015年06月17日

インタビューとパラレル宇宙

先般、とある季刊誌の方々がインタビュー取材にアトリエを訪問くださいました。
画像はそのとき撮影用の見せ絵として短時間で描いたもの。
無心に筆を動かしていても、なぜか身体的に心地よい地帯を探るという、人間の色彩感覚の不思議を思います。
こういう派手な画面の絵本もいつか描きたいと思っています。

インタビューしてくださった方々の命がピカピカと輝いて見えるという不思議な時間でもありました。
人ってそれぞれ美質が外部に顕れているみたいです。

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インタビューでも「素粒子が云々」「私たちはみんな粒子」などとまたもや観念的なことを述べてしまいましたが、ちょうど科学誌「ニュートン」の最近の号でも素粒子物理を元にしたパラレル宇宙の概念や、パラレル宇宙に存在する「あなたとまったく同じ素粒子配列の存在」について書かれています。つまり「あなた」とまったく同じ組成の人間が、別の宇宙に存在する可能性がある、と科学者が述べているのです。

雑誌「ムー」じゃなくて「ニュートン」でパラレルワールドが議論される時代になってきたのですね。この記事の内容が、自分自身の体感とも親和性があり、非常に興味深く読みました。

科学って慎重な分野である点が好ましいけれど、芸術家などの感覚鋭敏の者が天来のインスピレーションとして受け取る察知を、後追いしているという側面も、やはりあると思います。
科学者でも直感力に優れた人は、詩人と似たような性質を持っていると感じることも多いです。

多くの人々がまだ気づいていない、あるいは薄々感じているけれど明確にできていないものを「発見」する能力は、一見するとまったく関連性が無いように思える離れた存在や事象のつながりを見抜き、その関係性の芯を暴く力、解き明かす力と通じます。
詩歌の世界ではこの能力が非常に大きなウェイトを占めると思います。隠喩表現など、意味を正確にたどれなくとも、人々の腑に落ちたり衝撃を与えることがあるのはそのためではないでしょうか。
詩歌を読んでいると「うまく言えないが知っていた気がすることが書いてあり衝撃を受けた」という表現に出会うことがあります。これはその書かれていることが、「まだ全貌を解明はされていないが、この世界の誕生のときかそれ以前からある何らかの理」を、不完全であれ暴き、指摘しているために、受け手は衝撃を受けるのです。「おまえは知っていたはずだ」と鋭く指摘を受けるから、ハッとするわけですね。
私はときおりこのように考えます。
私たちは本当には「すでにすべて知っている」のかもしれないと。つまり「発見」とは、実は「思い出す」という行為であるのかもしれません。なぜなら詩歌は、「すでに知っていた気がすること」をこそ、新しく知らせてくれるように思うからです。

詩歌人は目に見えない「この世界の関係性の糸」をたぐる能力のある、超感覚の持ち主ともいえると私は感じています。重要な発見をする科学者もまた、平凡な日常風景の中から、まるで透視能力でもあるかのような直感で、科学的な発見の「カード」を引き抜いてくる、といった性質があるように感じています。
もちろん、毎日の地道な研究が重要であることは十分に理解しており、科学であれ芸術であれ、直感力と同等かそれ以上に修練や蓄積の力が大きいことは、体感としても心得ているつもりです。



 
posted by 草子 at 11:52| 作業風景