2018年02月10日

現在考C【大樹の声〜それから】

大樹の声を聞き、昨年末に書いたこと、想定していたことが、年をまたいで早々に現れて来ている。
(この件は、もう少し踏みこんだ詳細は別所に記している)
昨年に見つめてきたことと同じような構造、同じようなパーソナリティが、現在世情に浮かんでいる。
けれど、出来事の根本に横たわるのは、パーソナルな問題ではない。
「構造」の膿が表面化しているに過ぎないのだ。

具現化のスピードがかなり早くなっており、時代の開演を実感する。
さまざまな事がスピーディに展開している。
起きるだろうと直感したことが概ね起きるようになっており、もはや口にすることができない。
私の周囲にいる人の中には、このような出来事を実際に体験している人もあるので、分かってくれる人も少数ながらいるはずと思う。
それらはすべて、シグナルとして起きている。

もちろん、理解者を求めることはしない。人はただ、それぞれ一個の旅人なのであるから、なにを信じなにを理解するかの自由意志は、絶対的に尊重されている。

大樹は語っていた。
「気づかなければいけない」
「止めなければいけない」
「思い出しなさい」

あのとき知覚した出来事は、避けがたく起きるのかもしれない。
もしそうであるなら、個々の人間が、「その根にあるもの」にひとつひとつ気づいていく以外に救済の道はないと思う。
「何があの木をあそこに立たせたのか」
そこを深く見つめ、問うことに集約されている。

現在、問題化して炙り出されているようなことや、「あの大樹」が象徴となり得るような出来事は、この2〜3年ほどであちこちから現れて来る。
それらの問題は、それぞれの人に「生き方」「在り方」について、真を問うこととなっていく。

当事者に罪があるという訳ではない。
というよりも、当事者の罪として考察するだけでは、あまりに不十分なのである。

多くの人が、社会幻想にとらわれ、共犯者的に構築してきた「構造体」の欠陥が、顕わになってきているということだ。
私たちは、精神性や表現の真実、自然との調和の態度をかななぐり捨てて経済を追い、意識高々とよく考えているふりを装いながら、しかし極めて無思考に、虚構の塔を建ててきた。

その虚ろな建造物の倒壊に立ち会うことは、当然のつとめともいえるのだろうと思う。
 
posted by 草子 at 04:07| 表現、その他についての考察